@article{oai:honan.repo.nii.ac.jp:00000106, month = {Mar}, note = {application, 本稿の目標は、社会化における絶対的平等と絶対的自由の両立可能空間を解明することである。この目標に向かって、まず第2章において、「自我における相対的平等と相対的自由の両立不可能性について」を研究した。その第2章第1節においては、「相対的平等の増加は相対的自由を減少させる」を研究した。次に、第2章第2節においては、「相対的自由の増加は相対的平等を減少させる」を研究した。そして第2章第3節においては、「相対的平等と相対的自由の相関関係について」を研究した。第3章においては、「絶対的平等について」を研究した。その第3章第1節においては、「自我における絶対的不平等について」を研究した。次に、第3章第2節においては、「絶対的平等の可能性について」を研究した。第4章においては、「絶対的自由について」を研究した。その第4章第1節においては、「自我における絶対的不自由について」を研究した。次に、第4章第2節においては、「絶対的自由の可能性について」を研究した。最後に、第5章においては、「絶対的平等と絶対的自由の両立可能空間について」を研究した。その第5章第1節においては、「絶対的平等と絶対的自由の相関関係について」を研究した。次に、第5章第2節においては、「絶対的平等と絶対的自由の両立可能空間について」を研究した。そして、第5章第3節においては、「絶対的平等と絶対的自由の心境がもたらすもの」を研究した。これらの研究結果としての本稿の結論は以下のように要約することができる。社会化における人間的視点や生物的視点および物質的視点からみた個人の絶対的平等は、人間の本来の姿は「不生の単種単一の素粒子」(物理学的見解)「分割不能の点的存在」(数学的・幾何学的見解)「無的主体」(仏教的見解)であるということを知ることによって可能となる。なぜならば、人間の本来の姿は、不生の単種単一の素粒子(分割不能の点的存在または無的主体)であり、それは宇宙のすべての生物の本来の姿と同様であり、それはまた、宇宙のすべての物質の本来の姿と同様である、ということを知れば、すべての人間や生物および物質は不生の単種単一の素粒子(分割不能の点的存在または無的主体)である点において絶対的に平等であることが理解できるからである。上記のように、すべての人間や生物および物質は不生の単種単一の素粒子(分割不能の点的存在または無的主体)である点において絶対的に平等であるならば、宇宙空間におけるすべての物質間において、いかなる拘束・被拘束の関係、上・下の関係、支配・被支配(服従)の関係も存在することができないことになる。したがって、社会化における人間的視点や生物的視点および物質的視点からみた個人の絶対的自由は、人間の本来の姿は「不生の単種単一の素粒子」(物理学的見解)「分割不能の点的存在」(数学的・幾何学的見解)「無的主体」(仏教的見解)であるということを知ることによって可能となる。なぜならば、人間の本来の姿は、不生の単種単一の素粒子(分割不能の点的存在または無的主体)であり、それは宇宙のすべての生物の本来の姿と同様であり、それはまた、宇宙のすべての物質の本来の姿と同様である、ということを知れば、すべての人間や生物および物質は不生の単種単一の素粒子(分割不能の点的存在または無的主体)である点において絶対的に平等であり、それゆえ宇宙におけるすべての物質間において、いかなる拘束・被拘束の関係、上・下の関係、支配・被支配(服従)の関係も存在することができないことになる。したがって、宇宙におけるすべての物質は絶対的に自由であることが理解できるからである。上記の、社会化における絶対的平等と絶対的自由の両立可能空間の直観は、個人の社会化において絶対的平安をもたらす。また、それは人類社会に永久平和をもたらすことになるであろう。}, pages = {1--42}, title = {社会化における絶対的平等と絶対的自由の両立可能空間}, volume = {29}, year = {2012} }